Wisdom.198

‟国立西洋美術館世界遺産登録”

2016年7月17日、クーデターで混乱するトルコ・イスタンブールでの世界遺産委員会にて、東京・上野の国立西洋美術館の世界遺産登録が決定しました。15年にわたる申請のプロジェクトに関わった東京理科大教授・山名善之さんに、3回目にしてやっと決定に至るまでの経緯について『JIA MAGAZINE』編集長である今村創平氏がイコモス勧告がでたあとに伺われました。その内容を紹介いたします。

 

作品単体ではなく国際的広がりを世界遺産にする

 

今村  国立西洋美術館の世界遺産登録を正式に決定する世界遺産委員会まで、あと半月ほどになりました。まず、この世界遺産登録への試みは、どのように始まったのでしょうか。

 

山名  毎年1回、ル・コルビュジエの専門家が集められて勉強会をやっているのですが、15年前(2001年)にスイスで開催された際に出席しました。当時新しく就任した、ル・コルビュジエ財団現事務局長ミシェル・リシャール氏から、「ル・コルビュジエの作品を世界遺産にしたいと考えているけれど、どう思うか」と聞かれて、そこから話が始まりました。

私自身は、フランスにいた時の1990年代の後半からDOCOMOCOに入ってずっと活動してきました。ちょうど私がフランスを離れる2002年に、ユネスコの世界遺産センターが、20世紀建築もこれから世界遺産としてどんどん登録していこうと発表したのですが、以前にももう既に20世紀の建物が幾つか世界遺産になっていたのです。当然、ル・コルビュジエの作品に対して、サヴォア邸や、ロンシャンの教会、ユニテ・ダビシオンなどはいずれ世界遺産になるでしょうと言われていました。

リシャール氏には、「ル・コルビュジエの作品の一番の特徴は国際的な広がりであり、世界遺産を考えるときにはその特徴が見えるような登録のしかたを考えている。そうなると当然、日本も入ってくるだろうから手伝って」と言われました。でも私はその時には、「基本的な考え方は賛成だけれど、現行の世界遺産の運用規定ではなかなか難しく、時間がかかるのではないか」と言ったのです。

 

それまでの世界遺産はモニュメントで、その記念碑の持っている文化や文化的な価値を反映した文化財を世界遺産にするということでしたが、そういう枠組みではなくて、新しい20世紀的な、あるいはル・コルビュジエ的な文化財のあり方とは何かという議論をしたことを思い出します。国境を越え、大陸を超え、20世紀的な価値が広がっていく文化状況を反映した新しい世界遺産のあり方の模索がそこから始まったのです。単体のモニュメントではなく、地球上に拡がる幾つかの一連の建物をもって、ひとつの価値を体現するシリアル・ノミネーションとして考えることになりました。

 

今村   当時は、シリアル・ノミネーションという考え自体がまだなかったのですか。

 

山名   いや、既にありましたね。例えば街道沿いの一連の文化遺産や、あるいは富士山であれば、富士山のいろんな文化財施設を一続きにまとめる。そのようなものがシリアル・ノミネーションで、つまり一連の地理的なつながりと文化的なひとつの枠組み両方が必要になってくるという考え方です。富士山のときも問題になりましたが、三保の松原ですら、富士山から離れているとみなされるのです。地理的に一連のつながりを示さなければならず、数千キロ離れて国境を越えて、さらに大陸をまたがるとは考えられないというのが当時の状況でした。

 

 

20世紀建築の世界遺産登録

 

山名   あと、もうひとつ難しかったことは、2002年に20世紀の建築を世界遺産にしていくことになりましたが、まだ2001年頃には、世界遺産センターの内部にも「なんで20世紀のものが世界遺産なの?」という考えが根強くあったのです。

それと同時に、世界遺産登録が900件を超えて1,000件に近づいてきた段階で、ル・コルビュジエの書類をつくっていきました。当時は、23~24のル・コルビュジエの資産を一度に世界遺産にしようと考えました。そのときイコモスが、この勢いで世界遺産の数が増えると、希少性がなくなってくるのではないかと心配し始めました。世界遺産の登録において審査の対象となる文化財の価値は、OUV“Outstanding Universal Value”といいますが、その“Outstanding”(顕著)という考え方が、数が増えることによって下がってくるのではないかと懸念されたのです。

 

今村   それは分かります。多くの人はピラミッドやパルテノン神殿などを、これこそが世界遺産だと見ていますから、だんだん数が増えてくると違和感をおぼえるものがどうしても出てきます。

 

山名   だから、逆に、ル・コルビュジエの作品を世界遺産にしていくときは、そういうモニュメンタリティ、記念碑性という枠組みではないというのが最初の確認でした。ル・コルビュジエ自身はモニュメンタリティに対して懐疑を唄えていましたから、世界遺産登録推薦のための価値を議論する際に、まず作品単体として考えるのはやめましょうというところから始まりました。

 

 

国立西洋美術館を加える

 

山名   その後少し間が開いて、ちょうど森美術館のル・コルビュジエ展(2007年)の1年前の2006年に、私が森美術館館長の南條史生さんから頼まれて、展覧会の準備のためにパリのル・コルビュジエ作品の世界遺産登録の専門家として集められていて、ずっと書類をつくっていたのです。そろそろできるというので、私も見せてもらいましたが、そこに日本は入っていませんでした。私も日本に帰ってきた2002年から、国立西洋美術館を世界遺産にできないか、西洋美術館や文化庁などに問い合わせていましたが、当時は竣工(1957年)後50年経っておらず、竣工後50年経っていないと重要文化財に指定はしないという慣習があり、このことによって世界遺産に登録の推薦ができないということだったのです。

できあがった推薦書類は12月にフランスの行政委員会を通して大統領府に送るのですが、もうひとつ別の候補とふたつ出ている状態でした。世界遺産登録申し込みの枠は各国ひとつなので、フランス共和国の当時の考え方では、最終的に大統領がどれを出すのかを決めることになっていました。

1月に入ってまたル・コルビュジエ財団へ行ったら、リシャール事務局長から「今回ル・コルビュジエは選ばれなかったよ。でも1年後にフランス共和国として確実にル・コルビュジエを出すという約束を大統領からもらったので、その1年の間で日本を入れられないか」と言われて、私が日本に帰ってその状況を説明したのです。

 

今村   それで、2007年に最初の推薦書類を国立西洋美術館が入った形でまとめられたのですね。

 

山名   そうなのです。日本に帰ってまず西洋美術館が竣工から50年経っていないことを鈴木博之先生に相談したら、鈴木先生が文化庁とも相談して、「登録文化財は50年という規定が法文には入っているけれど、重要文化財の法文とは入っていない。だから法律上は万代内」とおっしゃったのです。「登録文化財よりも重要文化財のほうが上だという慣例から、登録文化財が50年であれば、重要文化財は当然50年以上という見解で運用してきたということだが、竣工後50年というのは重要文化財の前提とはならない。この慣例は動かせないことはない」と言われたのです。それでまず重文登録をする可能性を探りました。

そこで私と研究室の学生とで史料を調査、整理して、そのあと、さらに歴史的価値をどう位置づけるか検討しました。その2007年の5月からル・コルビュジエの展覧会が行われたのですが、フランスからル・コルビュジエ財団の当時の理事長デュポール氏が来たのです。彼はフランスのコンセイユ・デタ(国務院)という組織のトップで、フランスの行政官のトップ中のトップだったのです。そのデュポール氏が来日を機会に、このプロジェクトを日本政府に働きかけようと直々に要請して、それで初めて正式な依頼として日本政府も参加して国立西洋美術館を世界遺産に登録推薦しようという流れが政府レベルでも動くことになりました。

 

 

2度の落選を乗り越えて

 

山名   2008年2月に最初の書類を出したのですが、その時のイコモスからの勧告は、4つあるうちの上から3番目の記載延期(Deferral)でした。趣旨は悪くないから骨格をつくり直して、書類を再提出するようにと書かれていて、ル・コルビュジエの作品を世界遺産にすることに対して反対はしないけれども、大陸、国境を越えて、シリアル・ノミネーションにするというのは制度の運用上問題があるとありました。

あともうひとつは、ル・コルビュジエという重要な建築家の作品という視点で書類全体がまとまっていることに対しては反対ですというような意見が添えられて、つくり直すように勧告が来たのです。その後ユネスコの世界遺産委員会にいったときに、フランスと共同推薦した国が、イコモス勧告が記載延期(Deferral)であってもロビー活動をすれば登録の可能性があるのではないかと登録を目指しました。しかし、結局はひとつ評価が上がり情報照会(Referral)にはなりましたが登録はかないませんでした。骨格は崩さずに少しの追加情報を出すことによって2年くらいの間で世界遺産登録を目標にして、まずは指摘事項に応えることになりました。じつは、幻の初回の書類をつくっていた時は、日本はまだ入っておらず、インド(チャンディガール)が入っていて、「ル・コルビュジエの建築と都市計画」というタイトルで作成していました。日本も加わるようになり世界遺産センターへの書類を準備していましたが、書類を出す数週間前に、インドが降りたのです。

 

今村   インドはどうしてやめたのでしょうか。

 

山名   チャンディガールの都市計画をテーマにしたので都市全体を世界遺産登録にしようとしたのです。ところが都市を世界遺産に登録するとなると、何を保存していかなくてはいけないかを明確にしなければならない。するとそれが制約になって、都市がこれから生きていけなくなるという問題が出てきます。当時チャンディガールにはモノレールの計画があったりしたのです。

それでインドが抜けて新たに日本が入って、6カ国(フランス、日本、ドイツ、スイス、ベルギー、アルゼンチン)で書類をつくり直しました。それが最初に世界遺産委員会で審査の対象になった書類だったのです。それをもとに骨格はあまり変えずに書類をつくり替えて臨んだものを提出しましたので世界遺産委員会における2回目の議論は、都市計画というのは外しましたが、建築としてやはりル・コルビュジエの作品でシリアル・ノミネーションという形で出しました。そうしたら、なんとイコモス勧告は不記載(Not to inscribe)だったのです。それまで日本政府が不記載だったことはありません。歴史的にも初めてで、これはかなりいろんな意味で話題になりました。

世界遺産委員会が第1回目に情報照会(Referral)と評価して追加情報だけ出すようにということだったのに、出し直したものに対してイコモスが不記載(Not to inscribe)という決定を下すのは、本来矛盾しています。その時に、私も内情をなんとなく聞いていたのですが、イコモスと世界遺産委員会が、政治的かなり摩擦状態になっていたらしいのです。それは、いろいろな国から世界遺産案件が出てきますから、もうかなりの数になっています。そこで世界遺産委員会はイコモスに要請し、厳格に審査をして、運用規定に合っているものを記載していくことになりました。するとイコモスの審査が厳しすぎるという評判が立ってきたのです。

また、イコモスが厳しすぎる評価を世界遺産委員会に上げると、書類を出し直しなさいという記載延期(Deferral)であっても、ロビー活動などで世界遺産委員会の周りが政治的に動き、ある時は記載(Inscription) や情報照会(Refarral)になるようなことが生じたのです。そうするとイコモスが「我々の学術勧告は何なんだ」となり、摩擦が出てきました。

そういう状況の中で、第2回目の我々の書類に対してイコモスは不記載(Not to inscribe)という勧告を出した。これは、世界遺産委員会に対するある種のイコモスの意思表示です。もともと出した書類に対して、イコモスは骨格をつくり直しなさいと言っていたのであり、ル・コルビュジエという個人の建築家の作品群になっているのではないか、あるいは、国境を越えて文化がどのように成立したり、それをどうやって今後管理していくのかが不明確だから、その辺のところをもう1回、骨格をつくり直して出し直すように指摘しているのに、情報照会ということで世界遺産委員会へ流していくようなやり方をしていたら、世界遺産委員会自体が設定している運用規定の意味がなくなるでしょうという意味だったのだと思います。

追加情報を出したら次は登録だと思っていた関係者の間には、2回目のイコモスから不記載の勧告をもらったことは、理解しがたいことだったと思います。

そこで世界遺産委員会に、どうやって臨むかを相談して、結果として3番目の骨格をつくり直すことになりました。イコモスと私が入っている推薦国の起草委員会が、どういう形であればル・コルビュジエの書籍が世界遺産としてふさわしいのか、お互いに話し合いを続けた上で書類をつくり直すように言われ、そこからイコモスと我々との対話が始まりました。このようにお互い歩み寄りをして提出しましたから、3回目の今回はいい方向にまとまったかなという気がします。

 

 

イコモスでの活動

 

今村   申請にあたって、山名さんの立場を説明してください。

 

山名   私は正式な世界遺産の推薦国の専門起草委員会のメンバーです。また日本において国立西洋美術館の客員研究員の立場であり、専門家として文化庁の世界遺産担当の専門官と話を進めていきました。

そしてもうひとつの立場として、私はイコモスの20世紀委員会(国際学術委員会のひとつ)の委員もやっているのです。

 

今村   そういうことはイコモス側でもあったのですね。

 

山名   そうです。イコモスは当然専門家同士の集まりなので、この人はフランク・ロイド・ライト、この人はル・コルビュジエの書類をつくっている人というように、みんな何か課題を持ちながら全体の話をするわけです。20世紀委員会でずっと20世紀の文化財を考えていくときに、世界遺産という文化財の登録は建築家なしには考えられないだろうという議論をしてきました。

一方で、イコモスの中枢では、世界遺産は文化財のマターであり建築家を顕彰するものではないということで、イコモスの中でも考え方が相反していました。その中で20世紀の抱えている「建築家と文化財」という問題をどこかでクリアにしなくてはいけないという話をずっと続けていました。それと、シリアル・ノミネーションの話になってくると、ガウディもそうだったように、建築家がつくり出す文化財的、文化的価値がある広がりを持っているというのが20世紀の考え方で、委員会の中でそのような話題もありました。私は20世紀委員会の副委員長をやっていたこともあって、建築家によるシリアル・ノミネーションをどう捉えていくのかを考えていったのです。

 

 

改修の記録を残す

 

今村   国立西洋美術館などはまさにそうですが、改修している建築についてはどのように考えるのでしょうか。

 

山名   オリジナルの状態でないものを世界遺産にすることに対して、いろいろなところで当然疑問の声がたくさん出ます。近代以前の建物はある種のモニュメントだから、機能とモニュメントが乖離していて、モニュメントの中自体に機能はあまりないのが前提です。けれども、20世紀建築には機能があって、それで建物は使い続けられているところがひとつの特徴です。私たちはイコモスの20世紀委員会で、2011年にマドリッド・ドキュメントというものを作成しました。それは50年前の竣工した時の要求性能について、その機能自体が純粋に50年間同じ状態で残っているということはまずありません。建物を使い続けながら、保存や保全、文化財として守っていきましょうといったときに、オーセンティシティ(オリジナル)が何なのかという議論が出てきます。例えば竣工した時から、ずっと同じ石が使われているといったことがオーセンティックなのですが、それだけにこだわっていると、かえって建物の文化財としての価値が低下します。やはり使い続けながら、その建物がずっと残っていることを前提とするのであれば、インテグリティ(信ぴょう性)という考え方に基づいて、信ぴょう性を持てるのであれば、ある材料は入れ替えてもいいかもしれません。あるいは、機能が変わってきたのだったら、オリジナルとまったく同じ形で残す必要はないのではないかということを、20世紀の建築文化財の考え方としてマドリッド・ドキュメントにまとめました。

国立西洋美術館もいりいろなところを変えています。ただし、どこをどのように変えたのかという議論を厳密にやっていくことになりました。それと、もともとの建物の価値が残らなくなる可能性があるので、ドキュメンテーション、要するにアーカイブをちゃんと構築するように、どういう形で変えていったのか書類として残すことが非常に重視されます。そういったこともあって、日本で国立近代建築資料館が世界遺産の議論と併行して設立していきましたし、国立西洋美術館の中に、建物に関するドキュメンテーションセンターをつくる話が動いていってのです。

 

 

最終的な書類が完成、登録へ

 

山名   世界遺産の最終的な書類は、イコモスと話し合いを続けた末に、「ル・コルビュジエのモダンムーブメントにおける顕著な貢献」というタイトルになりました。モダンムーブメントが何なのかをル・コルビュジエを通して捉え直して、国際的に日本まで広がりをもったことがどういう文化的価値があったのかという視点で骨格をつくり直して、その考え方を表している国立西洋美術館やサヴォア邸などを含む17の建物群をまとめました。一度抜けたインドも含まれています。

モダンムーブメントにおける顕著な貢献ということでル・コルビュジエが入っているわけですが、そのときに、国境を超えるためにどういうシステムができあがっていたのか。ル・コルビュジエは、皆さんもご存じのようにペンネームです。ですから、人ではないというような表現をしています。ル・コルビュジエというある文化財をつくり出す生産装置によって世界中にル・コルビュジエ的モダンムーブメントの考え方が広がっていったという捉え方です。ル・コルビュジエの事務所は、ル・コルビュジエ一人でやってきたわけではなくて、世界中から若手の建築家が集まってきて、彼らが世界中に散らばって、それぞれの場所でモダンムーブメントを広めていったという枠組みなのです。

じゃあ、なぜ広がっていったか。人がいることが重要ですが、あと理論、プロトタイプをつくったということです。プロトタイプをつくって、ある種のモダンムーブメントはこういうものだと示したのです。例えば、近代建築の5原則(新しい建築の5つの要点)、あるいはユニテ・ダビシオン、シトロアン住宅といったようなプロトタイプをつくり、モデュロールという寸法体系をつくった。そういうある種、批判的にいえば、教条的な幾つかの教えをつくって、それゆえに、教えや啓示を受けた人がそれをつくることによってモダンムーブメントが広がることを容易にしたのです。そのことを今回の世界遺産の書類で、ある種の文化的な価値が広まっていったとまとめています。

 

今村   説明をうかがえば理解できますし、建築の専門家は分かりますが、おそらくニュースなどで、「ル・コルビュジエの国立西洋美術館が世界遺産」と出ると、一般的には世界遺産はモニュメントだと思われているのではないでしょうか。

 

山名   ル・コルビュジエたちがつくりだしたモダンムーブメント、その文化的な枠組みの中に我々が生きているから、それをモニュメントとしてではなくて、モニュメントに代わるヘリテージ、何かを受け継いで、その中で我々は生きているのだというような考え方を理解していただければと思います。世界遺産の考え方自体が少しこれによって変わっただろうなという気がします。

 

 

国立代々木競技場を世界遺産に

 

今村   いま次に、国立代々木競技場を世界遺産にという動きもありますがいかがですか。見込みはありますか。

 

山名   あると思います。じつは、国立西洋美術館を世界遺産にしようという話をしたときに、「どうして国立西洋美術館が日本の20世紀建築の最初の世界遺産になるのだ、納得いかない」と何人かに言われました。日本では、特に政府関係者の間で、おそらく20世紀建築を世界遺産にそのまま上げていくことはなかなか難しいと思います。国立西洋美術館は、もちろん設計者で知られているわけではありませんが、ル・コルビュジエのことはみんな知っていて彼の作品が世界遺産になることは納得するでしょう。それでまずは西洋美術館を世界遺産にすれば、日本の行政も含めて、20世紀建築の保存、あるいは文化財に対する意識が少し上がっていくだろうという考え方が、私個人の中にありました。けれども、やはり日本人に限らず誰もが建築的評価としては、ル・コルビュジエの国立西洋美術館よりも丹下健三の国立代々木競技場の方が評価が高く、あれは素晴らしい世界遺産になるであろうと言うわけです。

イコモスの20世紀委員会の中でも、ほかの国の委員から「山名さん、西洋美術館を挙げるのであれば、同時に代々木競技場も挙げていかなくてはならないのではないの」と言われました。

 

 

市民の力が決定力に

 

今村   ル・コルビュジエの場合は財団から話が来たわけですが、国立代々木競技場をはじめ多くの場合、誰かがリードしていくことが実現する上で大事なのでしょうか。

 

山名   一番重要なのは市民なのです。国立西洋美術館の場合も、台東区に市民団体がつくられて、そこが核になりながらいろいろな活動を行いました。

 

今村   確かにル・コルビュジエを世界遺産にと台東区が取り組んでいました。世界遺産の登録には後ろにいる市民がそれをサポートしているところが非常に大事であって、単純な文化的な良し悪しではないのですね。

 

山名   文化がどこで成立しているか、それはやはり市民なのです。専門家の中に閉じている文化はダメであって、専門家が文化財を決めるのではなくて、市民がそれを文化財だと思うかというところが大事なのです。

 

今村   イコモス、DOCOMOMO,UIA、今後のル・コルビュジエの世界遺産にしても、いろんな団体がある中でJIA(公益社団法人 日本建築家協会)がどいいう役割を果たしてきたのか、果たせなかったのなら、今後どういう役割ができるのでしょうか。例えば、今のル・コルビュジエの世界遺産の件については、JIAはほとんど絡んでいないですよね。

 

山名   UIAは関わっていますが、JIA自体は絡んでいませんね。

 

今村   例えば国立代々木競技場の世界遺産登録のことですとか、JIAができることがあるのでしょうか。

 

山名   どこの職能団体においても職能がどこの上に成立しているのかが重要です。イコモスも同じで、文化財の専門家の集まりですが、イコモスがいつも一番注意しているのは、市民がどこにいるのかということです。つまり専門家が走りすぎてはいけなくて、市民の手伝いをすることを心がけています。世界遺産員会も、これが本当に世界遺産としてふさわしいのかどうか、市民の意見をかなり調査しています。市民の理解がまったくないところは、難しいということになりますね。

JIAにも、やはり文化財などの保存委員会があるわけです。そこの人たちが、いかにそういった市民と結びつくのかが重要です。ただし、市民の中には、ある種の政治的な党派を持っていることがあります。その政治的党派にとらわれないで、市民がどこにいるのかを見出すのは非常に難しいのです。だから、保存の問題となると、どうしてもそういったところに偏った、政治的な党派と結びつきやすくなることがあるのですが、そうすると、そこ以外の人たちが離れていってしまうので、超党派的に市民と付き合うことが重要です。国立西洋美術館のときも台東区の超党派の議員連盟をつくり、町内会とも全部話をしました。とにかく、いろいろな意見を持っている人がいますが、広く対話を続けることが重要なのです。広く対話を続けると言うのは簡単ですが、いろいろな意見を持っている人の全員が納得した上で動かすことはなかなか難しいのです。けれども文化財なのだから、丁寧にそれぞれを説明していくことが専門家としては重要だと思っています。

 

今村   山名さんは、フランスで仕事をしていましたから、日本とギャップを感じるところはありますか。例えば、東京駅などのように、日本もこういう文化財保存で、昔より民意が得られるようになりました。

でもこの6月に、曽禰達蔵設計の旧三菱銀行神戸支店が、急に壊されると発表になりました。そのときに、もちろん専門家は「もったいない」と声をあげるけれど、市民は「そんなものか」とおもってしまいます。「なんで、街なかにあったこれを壊すんだ」と急に市民運動が起きることは、日本でちょっと考えられないですが、フランスだったらどうでしょうか。

 

山名   私がフランスで設計事務所に勤めていたときには、疲れるくらい市民運動がありすぎて、何かやると、すぐ反対意見を言ってくるわけです。そこをいかに突破していくかが設計事務所の役目でもありましたが、日本は建設会社ともあまりもめないし、パラダイスだと感じるところがありました。

でも逆に何も意見を言わないのが恐ろしいなと思う面もあります。反対運動にしても「反対」というのは誰でも言えます。けれども、そこに「勝つ」という意志がないと反対運動にはなりません。

私がDOCOCOMOの活動をずっと続けていて思うのは、「大事な建物だから壊さないでくれ」、それは当たり前です。けれども最終的に、どうやってその建物を守り抜いて、市民の中に位置づけて、文化財として成り立たせていくのか。やはり一番大きいのはオーナーです。オーナーが「なるほど、民意がこういうふうに推移しているし、建物がこういうふうに愛されているから壊しちゃいけないんだな」と思うものなのです。つまり壊すときだけ、ワァと「反対」と言ってもダメなのです。

 

 

対話を続けて戦略を練る

 

今村   研究者がある建築を評価して愛していたとしても、それは単に研究者の視点であって、市民と一緒に残そうといったストラテジー(戦略)に関しては非常に弱かったりします。

  それは文化財保存に限らず、おそらくJIAでもそうだと思います。新国立競技場問題のときも、JIAは反対だと言っていても、具体的なことはほとんどできませんでした。

 

山名   市民にはキーマンがいたりするので、そういう人たちとも話をする。つまり、ある気に入られた人たちとだけ話していたら絶対ダメなのです。

建物が壊されるとか壊されないといったときに、日本のいちばんいけないところは、建物を壊したくない人としか話をしません。一番重要なのは、建物を壊したい人たちと話すことです。壊したい人たちが、どうして壊したいのか理解しないで、壊さない議論を続けるほどバカバカしいことはないです。だから、そこがストラテジーなのです。

そのためのも、例えばイコモスという専門家の集団を使っても、国際的な枠組みを使ってもいい。あるいはDOCOCOMOを使ってもいいかもしれません。役所と話したり、あるいは政治家、もしくは市民団体の人と話してもいいし、いろんな人と対話を続けていくことが重要です。

ル・コルビュジエの世界遺産登録の時はまさにそれで、じつは私がネゴシエーターというか、モデレーターの役をやっていました。イコモスの20世紀委員会の副委員長であり、さらに世界遺産の起草委員会のメンバーをやっていたのは私だけなのです。それもあって、これだけ混乱していったのかもしれません。

私は第2回の世界遺産委員会でInscription(記載)に入れることを主張しませんでした。このまま平行線でやっていたら切りがないですからとにかく対話しようとしたのです。対話をして、お互いの課題をお互いで認め合おうとイコモスと起草委員会の両方に言い、それが最終的に決議文として上がっていったのです。

そういうことをしていかないと、日本に限らずもう世界はどんどん内向きになっています。自分と意見が合う人とだけ話をしていたら何も解決しません。言葉が通じない場合、言語の問題ではなくて、考え方として言葉が通じないと分けてしまい、ある種のアパルトヘイトがいろいろなところで行われていると感じます。

 

 

山名善之(やまな よしゆき)

1966年生まれ。1990年東京理科大学工学部第一部建築学科卒業。

香山アトリエ/環境造形研究所を経て、フランス政府給費留学生としてパリ・ベルヴィル建築学校DPLG過程留学。パリ大学パンテオン・ソルボンヌ校博士課程。アンリ・シリアニ・アトリエ(パリ・文化庁在外派遣芸術家研修員)、ナント建築大学契約講師、フランス国立公文書館、Institute francais d’architecture等を経て、2002年より東京理科大学工学部第二部建築学科。2014年より同理工学部建築学科に勤務。専門は建築意匠学・建築史学、アーカイブズ学。現在は国立近現代建築資料館主任建築史料調査官(兼務)、国立西洋美術館客員研究員(兼務)、Docomomo International理事、Docomomo Japan 副代表、ICOMOS Japan理事などを務めている。

 

 

※イコモス:国際記念物遺跡会議。ユネスコの協力機関でユネスコ世界遺産委員会の諮問機関。専門家で構成され、各国政府から推薦された遺産を調査・評価し世界遺産委員会に報告。これをイコモス勧告という。

引用文献:『JIA MAGAZINE330』(公益社団法人 日本建築家協会)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考文献:『日本人と住まい』(上田篤/岩波新書)