Wisdom.107

‟門”

かんがえてみると、日本の一戸だて住宅には、「門」があることが非常に多いように思われる。

 

しかしながら欧米の住宅にはそれがあまりない。だいいち、家のまわりに垣や塀をめぐらさないのだから、門もあるはずがない。イギリスの貴族のカントリー・ハウス(田園住宅)といえば、世界の住宅の理想みたいなものだが、さすがにここには門らしきものがある。しかし、それもたいてい掘立杭を二本おったてたようなもので、その豪壮な邸宅や宏大な庭にくらべると、まことに簡素なものだ。それは門というより、フェンスの切れ目とでも形容したほうがいい。一方、ヨーロッパでは、都市には立派な門がある。中世の都市は、まわりを城壁でかこんで中央に頑丈な門がつくられていた。ローマやパリの凱旋門などは、すぐれた芸術品でさえある。このようにヨーロッパでは都市には門があっても、住宅には一般に門がない。それに反して日本では、都市には一、二の例外をのぞいて門はなかったが、住宅には門があって、現在は庶民住宅にまでそれがおよんでいる。いったいこれはどういうことだろうか。

 

そこでお隣の中国をみると、ここにはむかしから、都市にも門があった。それもなかなか立派なものだ。それは立派であるだけではなく、戸締りがまことに厳重にできていて、門のほんらいの機能-外部世界にたいする防御、ということは、じつはこういうことかと、あらためて感心させられるようなしろものである。

 

日本の門も、発生史的には、この中国の門が輸入されたものといえるだろう。平城京や平安京の羅城門、朱雀門などの都城の門をはじめ、お寺や貴族、官人のすまいには、みな門があった。もっとも、一般の庶民住宅には、農家にも町家にも、今日のこされているさまざまな絵巻物をみるかぎり、門はない。その後も一部の武士階級をのぞいて、日本の庶民の住宅には門はかならずしも発達しなかった。それは門のひとつの機能-戸締りや防備を厳重にするという必要性が、庶民にはあまりなかったことを意味しよう。いいかえると、門をつくって防御しなければならないほどの富というものを、庶民はもたなかったのである。

 

では、門というのは、そういう防衛機能だけか、というと、かならずしもそうではない。門という字は、もともと戸が、むかいあわせに二つたっている姿をあらわしたものである。中国の『説文』によると、「半門」を「戸」というのだそうだ。そうすると、字の形や『説文』の解釈にしたがえば、門と戸のちがいは、そこにつく扉が一枚か、二枚か、ということになる。もっとも、じっさいには両開きの戸もあるから、そうは単純にはいえないかもしれない。ただ扉というものは、洋の東西をとわず、だいたい人間ひとりの身体寸法からその大きさがきめられているから、ふつう人間がでいりするだけなら、扉一枚でよさそうなものである。ところが、それが二枚必要だということは、機能的にいえば人間が多数でいりするか、または人間以上の大きなものがでいりするか、のいずれかのばあいであろう。多数の人間がでいりする、ということをかんがえてみると、それは、個人としての人間だけでなく、そこに組織化された人間の集団の存在というものが、おもいうかばれてくる。たとえば、門をくぐる貴族の行列とか、軍隊の整列行進とかいったようなものである。また、後者のばあいについては、たしかにむかしから門というのは、車馬がでいりできる構造になっていたものが多いことに気がつく。門柱の横に、たいてい車のわだちよけの石がおかれたりするのもそれだ。門は、人間がでいりするだけでなく、車馬がでいりするものでもあったのである。そしてその車馬にのる人間というのは、一定の身分をもった階級にかぎられていたから、門が、身分や格式というものと容易にむすびつく性格が、こういうところからもでてきたのだろう。

 

そうすると、戸は、個体としての人間の出入口であるのにたいして、門は、なんらかの意味で社会性をもった人間の通行を考慮したものである、ということができるのではないか。門という言葉が、建築の門だけでなく、一門一党とか、門徒などといわれるように、人間の集団としてのまとまりをしめす社会的な用語の意味につかわれるのも、門のそういった性格に由来するものであろう。中国やヨーロッパの都市に門があるのも、それは都市的な組織や、市民的な団結の存在をしめすものであり、また中国の家に門があるのも、その門のなかに一族の住居が群集しているからである、とみることができる。日本のばあいにも、中国の制にならって都市に門をつくってはみたものの、古代都市においてさえ、日本の都市には都市的一体性や市民的団結がみられず、『今昔物語』や芥川龍之介の小説にもあるように、平安京の羅城門は、都城の権威や統合の象徴でもなんでもなくなって、いたずらに盗賊の巣、ゆきだおれ人の墓場と化してしまったのである。それにたいして、貴族や武士たちのすまいに門がつくられたのは、貴族や武士の社会では、同族結合がつよく、門はその一族の結束の象徴であったとみることができる。つまり日本の社会では、都市の市民的結合より、血縁集団の同族結合のほうがつよく、門はその結合のつよさの表象としてあらわれてくるのだ。それはまた、血縁集団だけにかぎられない。中世の京都の町家では、商人たちが団結して、町まちに「町の構い(まちのかこい)」や「木土門」をつくったが、これらもまた、地縁的にむすばれた町衆の結束をしめすものであろう。琵琶湖の北端にある菅浦という村では、いまでも、中世からつたわる日本にはめずらしい「村の門」があるが、この門にはかつて、「守護入るべからず、自から検断する処なり」と大書されていたという。検断すなわち裁判は、村民みずからの手でおこない、大名たちといえどもみだりにたちいるな、というたからかな村民自治の宣言である。そうすると、これはたんなる「団結」ではなく、団結をみだすものにたいしては制裁をくわえることを辞さない、一種のコミュニティー社会であったことがわかる。門は、いわばそのコミュニティーの象徴でもあるのだ。

 

そういう一門の結束は、また、血縁とか地縁とかいうつながりだけにかぎらず、社縁とでもとぶような組織的なつながりのなかにも、みうけることができる。たとえば、中世には仏僧の釈家(しゃっか)住宅というのがあるが、ここにも門はあった。そして、すぐれた学僧の家のまえには、教えを乞う人たちで「門前市をなし」たものである。さらに一般庶民のすまいに、門が登場するさいしょとかんがえられるものに、江戸時代のしもたや建築がある。それは、その名が「店を仕舞うた家」といわれるように、すでに店をもつことをやめてしまった一戸だての専用住宅である。そこには、町家の店のかわりに、小さな門がまえと、植えこみのあるのが特徴だ。そして、そういうところに住んでいるのは、たいてい、お華やお琴のお師匠さんとか、お医者さん、あるいは学校の先生、などという自由業の人たちである。こういう人たちにはまた、かならずお弟子さんがいて、小さな門をくぐって文字どおり「入門」したものでもあろう。夏目漱石の『坊ちゃん』にでてくる忠節な下女・きよの夢は、大学を卒業した「坊っちゃん」がはやく偉くなって、「門がまえのある家」に住むことだったから、そういう考えかたは、明治にもつづいていたとみることができる。

 

このように、仏僧といい、学校の先生といい、お医者さんといい、こういう人たちは、今流にいえば、「情報」を売って人びとを組織する組織者であった。そこには、しらずしらずのうちに、流派、門閥ができて、主従いったいとなった一門の団結が強化されていったであろう。門はここでも、集団の結束をしめすシンボルにほかならなかった。

 

さてそれでは、現代庶民住宅に門が普及しているのをいったいどうみるか。それは防衛機能といったようなことはともかくとして、それ以外になんらかのコミュニティー的連帯性をしめしているようなものなのだろうか。新興住宅地の門を、一軒一軒のぞきあるいていると、おもしろいことに気がつく。まず、あたりまえのことだが、門にはかならずといっていいほど、その家の名前を明示した門札や門灯がるということだ。そうすると、門とは、門札などをかかげるための一種の下部構造としての役割をももっているのではないか。江戸時代の道場やぶりが、その家の主人を打ち負かしたときには、「なんとか流指南」などとかたい門札をはずしてもってかえる、という話が、講談などでよく語られるが、そのばあい、門札をはずされた門というものは、三文の値うちもなかったことだろう。第二に、この門札は、「姓」だけがしるされているケースが多く、その家の主人の「姓名」ともにかかれた表札は、一般に玄関の扉の上にかかげられているようだ。そうすると、門は個人の明示ではなく、その「姓」を共有する家族一門の存在を表示する、というようにかんがえられなくもない。

 

現代の家というものは、むかしのように幾世代にもわたる直系家族ではなく、夫婦こどもを単位とした核家族といわれるものに縮小されてきているから、「姓」とはいっても、たかだかその家に共住する数人の家族のことをさしているにすぎないが、しかし、たとえその数は少なくても、それは、家族一同の結束をしめすシンボルとしての意味はやはりもちうるであろう。つまり、それは「核家族コミュニティー」の象徴なのである。戦後の日本社会では、かつての大家族から核家族に分離移行したことが原因して、かえって教育ママ、マザコンなどといわれるように、家族間のきずながつよまったとみることができるが、そうすると、庶民のマイホームや門をもちたいという欲求も、親子の靭帯をつよめた核家族コミュニティーを、しっかりとつなぎとめておきたいというつよい願望のあらわれとみることもできるだろう。そうすると門は、「ここに○○という名の核家族ありき」ということの社会的宣言である。それは言葉をかえれば、小家族に分解した核家族でさえも、今日、現代社会の流動変転をまえにして、たえずうちに、家族分解の危機をはらんでいることを、はからずもしめしているようにもおもえるのだが・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考文献:『日本人と住まい』(上田篤/岩波新書)