Wisdom.105

‟東屋”

日本では、四季を通じて、雨はいつふってくるかわからないので、なにごとにつけ戸外での催しものには、雨のことに気をつけておかなければならない。私たちは格別ふしぎにはおもっていなくても、こんなに気まぐれなお天気をもっている国は、世界でもめずらしいのではないか。ほかの国では、雨季だとか、スコールだとかいうように、雨のふるときがかぎられているのがふつうだ。ところが日本ではそうはいかない。そこでむかしから、戸外の催しものは、雨がふったら「雨天順延」とだいたい相場がきまっていた。戦争でさえも、しばしば「雨天順延」されたものだ。織田信長が嵐をついて桶狭間に今川義元をやぶったのは、その常識の逆手をとった勝利であったといえる。しかし生活が高度に組織化されてきた今日の社会では、「雨天順延」がだんだんきかなくなってきている。ぬれねずみになりながら遠足にでかれたり、パンくい競争をしたりする図を、そこここでよくみかける。

 

日本がそういう雨の国なら、「雨の日のための建築」をもっとかんがえてもよさそうにおもえるが、どうだろうか。雨のふらない地中海に立地したギリシャ民族が、戸外の広場を発明したように、雨の国の日本では、広場とはちがった「戸外の生活空間」を、もっと発達させてもいいはずだ。雨がふると、心のなかまでうっとうしくなる、というのではなしに、雨もまたたのしい、というような都市や住宅の空間の構造をかんがえても、ちっともおかしくはないだろう。

 

お天気の日の催しもののときには、主催者がきまって「きょうは絶好のお天気にめぐまれて・・・・」というあいさつからきりだすのがつねとなっているが、がんらい、日本は雨の恵みによって発達してきた国ではないか。逆のあいさつがあってもいいようにおもわれる。私が経験した情緒をたたえたものはなかった。それは新しい人生の門出にふさわしい、しずけさとおちつきにめぐまれていて、いまもふかく印象にのこっている。

 

  春の野に  菫つみにと来し吾ぞ  野をなつかしみ  一夜宿にける  (万葉集一四二四)

 

と古歌もいうように、日本人は、もともと戸外生活の民族であった。それは、この国の主要な生産基盤を、稲作をはじめとする、ひろい農業においていたことと関係している。

 

日本人が戸外生活の民であったことを証するものは、ひとつは、戸外におけるさまざまな道具類の発達である。一年中、野山ですごす農民は、雨装束として笠や蓑などを発達させ、また町の人びとは、大きな傘や各種の下駄、家いえからのふかい軒のつきだしや犬走りなどをつくりだした。さらに戸外生活の臨時の床として、ござ、むしろ、緋毛氈(ひもうせん)、縁台、川床(これはいまでも京都の鴨川や貴船にみられる)、ばったり床几(しょうぎ):(壁にしまいこまれるベンチ、京都に多い)、そのほか、まん幕、重箱、角樽(手さげの樽)、提灯、屋台、屋形船等々、戸外生活をいろどる多くの道具や施設類がもちいられたのである。

 

第二に、これにたいして、室内空間のほうは、比較的簡素なものであった。庶民にとっても家というものは、ながらくのあいだ、雨露をしのげればたりるもの、というぐらいにしか、かんがえられていなかったのである。したがって日本の住居は、庭すなわち戸外にむかって、きわめて開放的にひらかれており、庭も家のうちとみなされ、あるいは逆に、家のほうが戸外生活の延長か、またはそのひとときの宿りぐらいにしか、みられていなかったふしもあるくらいだ。

 

そういう戸外生活主義が、だんだん室内生活重視のほうへかたむいていったのは、一般的にいえば、江戸時代の町家社会からで、町家の奥座敷や、芝居小屋、遊里などにおいて、数寄や遊興の生活がくりひろげられるようになったことが大きい。しかし一方、戸外生活へのあこがれが、鄙の陋屋を範とする茶室建築をうみだし、野点(のだて)の茶会へと人びとをかりたてたのである。それが、現在のように決定的に「室内空間」主義にかわったのは、一口にいって西欧建築文明の影響による。とくに第二次大戦後に、都市への人口集中がすすみ、鉄筋コンクリートのアパートが大量に建設されて、そのマイホームのなかに、おとなも子どもも、とじこめられるようになったことが、つよく影響している。むかしは、家のまえの道が、子どもの遊び場であり、おとなの社交のひろばでもあったけれど、自動車の増加が、そういう戸外の生活をだんだん危険なものにしてきている。

 

さて、かつてのそういう日本人の戸外生活のために用意された建築のひとつに、あずまや(東屋、四阿)があった。あずまやというのは、もと寄棟の屋根のことをさしていった。切妻屋根がまやといわれ、大和朝廷を中心とする支配階級の住居に多くもちいられたのにたいして、あずまや、すなわち寄棟の屋根は、竪穴住居いらい、民家建築に多く、とくに東国の卑賎な家屋によくもちいられたことから、その名があるという。それが転じて、いまでは、壁のない、吹きとおしとなった土間床の建物をいうようだ。

 

このあずまやが、建築施設としてひろくもちいられるようになったのは、江戸時代の茶庭や廻遊式庭園などにおいてである。それは、都市のなかにあって、おもいを山野の戸外生活にはせる都会人の夢であった。とくに廻遊式庭園は、その名のとおり、築山や池を、山や海にみたてながら庭をめぐるもので、ところどころにおかれた茶亭やあずまやで茶会をもよおし、緋毛氈をしいて野点をたのしんだものである。

 

このあずまやは、いまでも公園のなかなどに、ときおりみかけるが、風趣を目的とした建築でもあるので、むかしからそのデザインには、いろいろこったものがあった。杉皮ぶきに、皮つき丸太をはじめとして、一本丸太の柱に屋根をつけた傘亭、腰かけを卍型にした卍亭などである。現在、公園のなかにあるものなどは、いまでも、そのようなデザインの流れをうけついでいるものが多い。

 

さて、現代の都市のなかにも、こういうあずまや建築が、公共施設としてもっとあってもいいのではないか。ヨーロッパの都市をみると、バスストップや市電の停留所には、雨よけ、日よけをかねた、こういうあずまや風の待ちあいのための施設がおかれていることが多い。モータリゼーションの蔓延にへきえきしている日本では、ウォーキングやランニングが広まっているが、ただ歩け、走れといわれてもしょっちゅう歩き、走ってばかりいるわけにはいかない。ところどころに、ときおりやすめるベンチや休憩所が用意されている必要があろう。あずまや建築が、そういう方向にも、もっと活用されていいようにおもわれる。

 

つぎに住宅である。たしかに、現代のすまいの庭にあずまやをつくる、というのは、いささかぜいたくな話であろう。そんな余裕は、いまの住宅事情からいって、ふつうにはかんがえられないことだ。ただ、あずまやでなくても、軒をふかくし、その下に壁にベンチをとりつけた、茶室の街露地などにみかける「腰掛待合」などというのもは、もっと活用されてもいいのではないか。これをとりつけた家は、庭でちょっと立話ができたり、雨の日のこどもの遊び場になったりして、たいへん評判がいい。もちろん、このほかにテラスやポーチ、パーゴラなども、これらと軌を一にするあずまや的建築である。

 

さて、あずまや建築にもっとも期待するところは、団地の庭である。都会のコンクリートのアパートやマンションぐらしは、自然と隔絶されて、大地と隣接する機会がまことに少ない。建物の棟と棟のあいだには、通常、ひろい団地の庭もあるのだが、そこにはせいぜい、砂場やブランコなどの子どもの遊び場がおかれているくらいで、そのほかには、なにもない草ぼうぼうの殺風景な空間である。ここに、建物の棟と棟とをつなぐ歩廊やパーゴラ(もともとパーゴラは廻廊風になった日よけ棚のことをさす)、日あたりのいい庭の中央には、あずまややアーボラ(植物のツタなどをからました日よけ棚のこと。いわゆるパーゴラ)などをつくってはどうだろう。そうすれば、雨や日ざしのつよい日の通行のおおいになるし、団地の庭やそれらのおおいの下を、人びとの休息や社交の場として、ひろく利用することもできる。なんのおおいもない無味乾燥な団地の庭では、雨や日ざしのほかに、人びとの窓まどからの視線にもたえられず、人はそそくさと庭をたちさって、ふたたび自分のマイホームに閉じこもらざるをえない。

 

団地や一般の住宅地には、カーポートなどがあって、雨の日にはちかくの女の子たちが、そこでままごとなどをしているのを見かけることがある。それはいわば一種のあずまやである。このような車庫で、子どもたちがあそぶのもいいが、ちゃんとした藤棚やパーゴラ、あずまや風の施設などが、もっとあってもいいのではないか。それらのうちの多くは、かつて、「雨の国」の日本がうみだしたすぐれた生活空間だったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

参考文献:『日本人と住まい』(上田篤/岩波新書)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考文献:『日本人と住まい』(上田篤/岩波新書)